元旦からこっち家の中にずーっといてテレビ見たりネット見たりしてると、自分の周りの世界がまた違って見えて非常に面白い。
病気療養というのは意外に有意義な休みの過ごし方なのではないかとすら思う。
実際、ウィルスとたたかっている自分のからだは、ほとんどいうこと効かないし、バカみたいに眠いし、しんどいんだけれども、それでもなんというか、自分が思っているほど自分は未来に生きていないことが体感としてわかって、これはこれで謙虚な気持ちにさせられるし、現実的なものの見方が出来て、今自分が見るべき夢の範囲がはっきりするのは、いいことなのではないかと思う。
合法的に手に入れた白い粉「リレンザ」を吸引しながらのインフルエンザウイルスとの戦いをしながらも、情報収集という意味においては、便利という言葉では到底説明できないくらい自由に、ほとんど知りたいこと全てを手に入れられる。
親切な同僚や後輩のおかげで、出社していない会社の状況も、メールやチャットでほぼ手に取るようにわかる。
友人の休日の過ごし方や、出産や結婚といった人生の変化や、帰省先のお雑煮の中身まで、SNSで把握できてほっこりしたりニヤニヤしたりできる。
うまいカツ丼が食いたいとかラーメン食いたいとか、ビール飲みたいとかいう煩悩をかなえることはできないけど、十分だ。
10年前とは病気療養や欠勤の意味は変化してると思う。
テレビは日頃思ってた以上に面白いコンテンツをもったいないくらいに垂れ流しているメディアだと思わされる。
15秒のCMで心動かされる自分に気づき、悔しさ相まって「つづきはwebで」のワード通りに検索してたどり着いたキャンペーンサイトにがっかりして、web広告に本当に可能性があるのかすら怪しく思えてきたりし、テレビの生番組並の段取りやスケジュール管理ができるwebディレクターや制作会社などいまだ存在しないことに気付かされる。
自分はエンタメ業界の最前線には立てていない。まあそもそもそこに立とうとは思ってないんだけど、少しは同じ土俵に立ててるのかもしれないと思った自分が甘かった。あそこはまだ、全然違う土俵だ。
いっぽうで、適度な距離はとりつつも、ネット業界やスマホアプリの世界がテレビのコンテンツに大きく影響している様子もかいま見る。
そう。立っていない土俵ではあるものの、そこはすでに手が届く土俵であることは間違いない。
ではどうしてまだそこに立てていないのか。
よくわからないけど、今のところの答えとしては、熱量がその原因だと思う。
テレビのコンテンツにかけられているほどの熱量をかけても、別のものになる宿命をwebは抱えている。
ユーザー参加することによって変異するということだ。
濃く変異するものもあれば、薄く変異するものもある。つまりは狙った結果が出しにくい。
熱量が、質量保存の法則に基づいて狙い通りの強固な質量を持ったコンテンツに変異する刹那、足らなくなったり追加されたりすることによっていびつなものになる。
そのいびつがまた何かのフックになって、類似ユーザーをひきつけるところが面白く、それがなければwebの世界に放出しても仕方ないわけだけれど、その結果生成されるコンテンツが、テレビのコンテンツと比較して未だ強度が足りないのではないかと思う。
例えば、検索、データ量、そしてその処理速度、という、コンピュータの能力と相似・同義な部分で生成されたコンテンツは、同じほどの強度がある。
しかし、技術の一部と一部を複数集めて掛け合わせて織り重ねられたコンテンツには、かわいさや面白さはあっても、強さはそこまで、ない。
これをどうやって強くすることが出来るのかが、今年僕が見たい夢だということになる。
まだ隙間も可能性もある。それを見てみたい。やってみたい。
まずは全部薬飲みきるまでもうちょっと休も。八重の桜もおもしろいわ。
今年もよろしくお願いいたします。
